2006年11月30日
家族の座
「家族の座」は、プライマリーセラピーのような激しい感情の表現を通して自由になるワークではありません。また、理想の関係や家族像に変えるワークでもありません。本人を含め家族の役を他の参加者たちが代役として立ち、その場所で今、どんなことを感じているのか聞いていきます。そこでは感情のぶつけあいはなされず、事実だけを言葉と体の動きを通して表現していきます。「これはまさにうちの家族だ」と思えることが展開されてゆきます。
セラピストが、それぞれのとった行為に対する責任の所在をはっきりさせて行くなかで、配置が変ってゆき、本人が一番くつろげる位置を見つけてゆきます。また、このワークは家族だけでなく、恋人や職場、お金、仕事、病気、そして瞑想との関係までみてゆくことができます。
「 ……だから人は両親から離れなければならない。離れるだけでなく、ときに多くの点で彼らに逆らう。だがそれは怒りとなるべきではない。それは醜くてはいけない。それは美しく、敬意を持ったままであるべきだ。……もし家族に執着したらあなたは不具のままだ。あなたは子供のままだ。あなたは決して自身の権利で在る人間にはならないだろう。」
Osho : Be Realistic Plan For a Miracle
「家族の座」は、ドイツ人のバート・ヘーリンガ氏により考案されました。既存のセラピーだけでは、どうしても乗り越えられない壁があると感じていた氏は、問題をその人個人だけのものとして見るのではなく、家族とのつながりの中で見ていくことで、解決の糸口が見いだせるのではないかと考え、このワークショップを始めました。実際にこのワークを体験すると、家族のつながりにより、いかに互いに影響を及ぼしあっているかを知り、あなたはきっと驚くでしょう。すでに死んでこの世にいない人やあなたが一度も会ったことのない人でさえ、あなたに絶大な影響を及ぼしている可能性があるのです。また長い間、自分の感情だと思ってつきあっていたものが、自分以外の他の家族のものを引き受けていたに過ぎないことに気づいたり、他の人の身代わりとなって自分自身のものでない人生を歩んでいたことに気づくかもしれません。このように複雑に絡み合った人間関係を丁寧にほどいていくことで、自分のもの以外の感情や責任をあるべき所に返し、引き受ける必要のなかった役割から降りていきます。ともすれば、感情的になったり、過度にドラマチックになりがちなこの種のワークを、ヤショダの適切なリードにより、あくまでも「観照者」の視点を保ちながら進めていきます。「家族の座」を見ることにより、家族体系の関係性が明らかになり、これらの未解決の力学が、幼少期よりいかに自分自身に影響を及ぼしてきたかを知ることができるでしょう。そして、そこからヒーリングのプロセスが始まります。
「家族の座」体験記
40才 会社員 男性
「家族の座」は魂の解放感と、内界への深い洞察を私に与えてくれました。このグループで自分の家族の座を開いてみて、今までなんという重荷をかついで歩いてきたんだろうと思いました。終わった後、体の実感として肩と背中にさわやかな解放感があったんです。今まで消耗していた自分本来のエネルギーをようやく取り戻した、そんな感じでした。子どもの頃から私にとって家族は、重苦しいものでした。客観的に観ればごく普通の穏やかな家族でした。でも、家族という場には、不思議な力が働いているように感じます。家族を構成する一人一人の痛みや恐怖、不安、怒り、執着、欲望などの強い思いが、家族それぞれのあいだに複雑なパターンを作り出すのでしょう。どんなに家族から物理的に離れようと、このパターンが無意識の深みに刻み込まれている以上、その影響力は変わりません。良きにつけ悪しきにつけ、人生のすべてに影響を与えていくことになります。しかし、この無意識深くのパターンに光をあてて、意識化し、理解し、再調整することは可能です。「家族の座」以外にも、様々な試みがあります。しかし、過剰な自己表現を求められない点、自分の内面をたんたんと見つめていく点など、家族の座は日本人に一番向いているのではないか、と感じました。人によって違うかもしれませんが、グループに参加することで起きる効果というのは、本当に深く大きなものがあります。自分の無意識深くの様々な感情、関係性のパターンに気づいていく過程は、そう楽ではありません。しかし、それだけの価値は十分すぎるほどありました。その過程自体も、どんな一級品のミステリー映画を観るよりもずっとおもしろいです。次回も参加するつもりです。グループでお会いましょう。
28才 OL 女性
私がはじめて「家族の座」を友人から聞いたとき、感じたことは「近寄れないぞ。」というものだった。『家族、又は自分と関係ある人々との状況をあらためて観ていく』‥‥私にとって恐怖そのものだった。しかし、よくよく聞いてみると『本人自身は、演じられているそれを外から傍観者の様に観ていき、今までとは違った観点から理解していく』と言われて。「そんな馬鹿な。見ず知らずの会ったこともない他人の感情を感じたり、その人になったりなんてある訳がない。」そう思いつつも結局参加。ところが一歩、足を踏み入れてみるとこれがびっくり! 主人公である私が、他の人を配置し、くりひろげられているその光景を外から観ていると、今までの自分の凝り固まった目でしか状況を見ていなかったこと、関係のある人たちの感情もそれぞれ違うことに改めて気づいた。セッションの最後に、私を演じてくれた人と私自身が入れ替わる。すると改めて違った目で、ハートで、観れるようになった私は、今まで何より大嫌いだった状況や人々を、とてもゆったりした気持ちで、ただ観ることができるようになっていた。自分にそんな余裕ができたからか、現実のその関係性に戻った時も、今までとは違う余裕のある自分でいられた。これには、ただただ驚きと感謝でいっぱいになった。そして今度は、私がほかの家族の役を演じた時、「知らない人のことなんて出来ない!」と思っていたのに、いざその場に配置されると、なんだかその人の気分になってくるから驚きだ。そして役の関係性の中で、自分の(役の)感情や見方がどんどん変っていくのがわかり、最後には、スペースを内包した癒された自分になっていたことに気づいた。はじめは、「近寄れないぞ」と思っていたのに、今ではすっかりはまってしまった。‥‥してやられたり「家族の座」!
家族それは夜空にひろがる星座のよう。一人一人が影響を与えながら、ひとつの座をなしている。一緒に住んでいない人も、すでに死んでしまった人さえも。
「家族の座」は、家族との関係だけでなく、職場での人間関係、恋人との関係、病気と私、お金など、そこに関係性の生じるものなら何でも焦点を与えることができます。
セラピストが、それぞれのとった行為に対する責任の所在をはっきりさせて行くなかで、配置が変ってゆき、本人が一番くつろげる位置を見つけてゆきます。また、このワークは家族だけでなく、恋人や職場、お金、仕事、病気、そして瞑想との関係までみてゆくことができます。
「 ……だから人は両親から離れなければならない。離れるだけでなく、ときに多くの点で彼らに逆らう。だがそれは怒りとなるべきではない。それは醜くてはいけない。それは美しく、敬意を持ったままであるべきだ。……もし家族に執着したらあなたは不具のままだ。あなたは子供のままだ。あなたは決して自身の権利で在る人間にはならないだろう。」
Osho : Be Realistic Plan For a Miracle
「家族の座」は、ドイツ人のバート・ヘーリンガ氏により考案されました。既存のセラピーだけでは、どうしても乗り越えられない壁があると感じていた氏は、問題をその人個人だけのものとして見るのではなく、家族とのつながりの中で見ていくことで、解決の糸口が見いだせるのではないかと考え、このワークショップを始めました。実際にこのワークを体験すると、家族のつながりにより、いかに互いに影響を及ぼしあっているかを知り、あなたはきっと驚くでしょう。すでに死んでこの世にいない人やあなたが一度も会ったことのない人でさえ、あなたに絶大な影響を及ぼしている可能性があるのです。また長い間、自分の感情だと思ってつきあっていたものが、自分以外の他の家族のものを引き受けていたに過ぎないことに気づいたり、他の人の身代わりとなって自分自身のものでない人生を歩んでいたことに気づくかもしれません。このように複雑に絡み合った人間関係を丁寧にほどいていくことで、自分のもの以外の感情や責任をあるべき所に返し、引き受ける必要のなかった役割から降りていきます。ともすれば、感情的になったり、過度にドラマチックになりがちなこの種のワークを、ヤショダの適切なリードにより、あくまでも「観照者」の視点を保ちながら進めていきます。「家族の座」を見ることにより、家族体系の関係性が明らかになり、これらの未解決の力学が、幼少期よりいかに自分自身に影響を及ぼしてきたかを知ることができるでしょう。そして、そこからヒーリングのプロセスが始まります。
「家族の座」体験記
40才 会社員 男性
「家族の座」は魂の解放感と、内界への深い洞察を私に与えてくれました。このグループで自分の家族の座を開いてみて、今までなんという重荷をかついで歩いてきたんだろうと思いました。終わった後、体の実感として肩と背中にさわやかな解放感があったんです。今まで消耗していた自分本来のエネルギーをようやく取り戻した、そんな感じでした。子どもの頃から私にとって家族は、重苦しいものでした。客観的に観ればごく普通の穏やかな家族でした。でも、家族という場には、不思議な力が働いているように感じます。家族を構成する一人一人の痛みや恐怖、不安、怒り、執着、欲望などの強い思いが、家族それぞれのあいだに複雑なパターンを作り出すのでしょう。どんなに家族から物理的に離れようと、このパターンが無意識の深みに刻み込まれている以上、その影響力は変わりません。良きにつけ悪しきにつけ、人生のすべてに影響を与えていくことになります。しかし、この無意識深くのパターンに光をあてて、意識化し、理解し、再調整することは可能です。「家族の座」以外にも、様々な試みがあります。しかし、過剰な自己表現を求められない点、自分の内面をたんたんと見つめていく点など、家族の座は日本人に一番向いているのではないか、と感じました。人によって違うかもしれませんが、グループに参加することで起きる効果というのは、本当に深く大きなものがあります。自分の無意識深くの様々な感情、関係性のパターンに気づいていく過程は、そう楽ではありません。しかし、それだけの価値は十分すぎるほどありました。その過程自体も、どんな一級品のミステリー映画を観るよりもずっとおもしろいです。次回も参加するつもりです。グループでお会いましょう。
28才 OL 女性
私がはじめて「家族の座」を友人から聞いたとき、感じたことは「近寄れないぞ。」というものだった。『家族、又は自分と関係ある人々との状況をあらためて観ていく』‥‥私にとって恐怖そのものだった。しかし、よくよく聞いてみると『本人自身は、演じられているそれを外から傍観者の様に観ていき、今までとは違った観点から理解していく』と言われて。「そんな馬鹿な。見ず知らずの会ったこともない他人の感情を感じたり、その人になったりなんてある訳がない。」そう思いつつも結局参加。ところが一歩、足を踏み入れてみるとこれがびっくり! 主人公である私が、他の人を配置し、くりひろげられているその光景を外から観ていると、今までの自分の凝り固まった目でしか状況を見ていなかったこと、関係のある人たちの感情もそれぞれ違うことに改めて気づいた。セッションの最後に、私を演じてくれた人と私自身が入れ替わる。すると改めて違った目で、ハートで、観れるようになった私は、今まで何より大嫌いだった状況や人々を、とてもゆったりした気持ちで、ただ観ることができるようになっていた。自分にそんな余裕ができたからか、現実のその関係性に戻った時も、今までとは違う余裕のある自分でいられた。これには、ただただ驚きと感謝でいっぱいになった。そして今度は、私がほかの家族の役を演じた時、「知らない人のことなんて出来ない!」と思っていたのに、いざその場に配置されると、なんだかその人の気分になってくるから驚きだ。そして役の関係性の中で、自分の(役の)感情や見方がどんどん変っていくのがわかり、最後には、スペースを内包した癒された自分になっていたことに気づいた。はじめは、「近寄れないぞ」と思っていたのに、今ではすっかりはまってしまった。‥‥してやられたり「家族の座」!
家族それは夜空にひろがる星座のよう。一人一人が影響を与えながら、ひとつの座をなしている。一緒に住んでいない人も、すでに死んでしまった人さえも。
「家族の座」は、家族との関係だけでなく、職場での人間関係、恋人との関係、病気と私、お金など、そこに関係性の生じるものなら何でも焦点を与えることができます。
ishimura38 at 19:34 


