インタビュー

サバイバルの恐怖

The Survival Fear(OSHO NEWS Online Magazine ー 15 April 2014)

※サガプリヤが、「2番目の側」(男性または女性)が、1番目の側から独立しているとみなすことの効用を、説明しています。

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サバイバルの恐怖

実は、ちょっとした地図を描きたいのです。同じことを全て、たくさんの言葉で語るよりも、数本の線を描き、ターニングポイントに印を付けることのほうが、ずっと簡単に思えるからです。

私の地図は、23歳位の時、カリフォルニアの、ビッグサー(Big Sur)に始まります。私はエサレン研究所のスパで働いていました。マッサージをしていたのです。このスパは、太平洋のすぐ上の岬に建っていて、片側がオープンになっていました。だからホットタブに座ったり、隣接したマッサージテーブルで休んだりして、下の波との交感的なつながりを感じることができたのです。早朝には、海から立ち上る霧が温泉の蒸気と混ざって、とても神秘的な雰囲気をつくりだしたものでした。


 「ヘイ、
 私、頭よりも
 下にいるじゃないの。」



それは冬の、まだ夜明けから余り時間が経っていなかった頃に違いありません。というのも、そこにはそれ以前に私が見たことのない、1人の若者しかいなかったからです。彼はテーブルの1つに足を組んで座っていて、霧のためにほとんど姿が見えなくなっていました。長い時間の後、彼は目を開き、動き始めました。そして私は彼のところに、私に瞑想を教えてもらうことができるか、聞きに行ったのです。(私は、彼がしているのは瞑想だと思ったのです)ええ、彼のインストラクションはシンプルでした:背中は真っ直ぐでなくてはならない、目は閉じられていなければならない、それだけ出来たら、ただ座りなさい。

その次の機会に、私はそれを試しましたが、何も起こりませんでした。私が3回目にやってみたとき、やはり浴場の中ではあったのですが、私は小さな個室の中にいて、そして気づいたことを覚えています、「ヘイ、私は頭より下にいるぞ。」もちろん、自分が頭の中にはいないと突然気づくまで、私は自分が頭の中にいると気づいたことはなかったのです。私の頭は「上の方」にあって、私は下の方の身体の中に、ある種のプレゼンスとして中心を持っていたのです。

だからこれがターニングポイントAです:


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中心に出会う

もちろんそれはただの最初の出会いで、「ハロー」と挨拶するようなものに過ぎませんでした。でも私の仕事に関する限り、それには続きがあったのです。1つ目は、私が人々にセンタリングを教え始めたことです。2つ目は、この瞑想的スペースは、私がマッサージしている間に、いろんな物事が見えるようにさせました:私はサイキックになりました。

私は、自分が既に地図上のポイントBにたどり着いていたことに、気づいていませんでした:


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苦闘なしに起こる、楽しめる仕事


働くことで悩んだことがないという意味で、私は幸運でした。私はサバイバルについて如何なる不安も経験していませんし、このテーマがいつか私に興味を抱かせるかもしれないと、想像したことさえなかったのです。仕事に関する限り、物事は簡単でした。

そしてサニヤスを取った後もそれは続いたのです。OSHOは私を、教師とセラピストの仕事においてサポートしてくれました。彼は、私をプーナ1の幾つかの不快な体験から、保護してくれさえしたのです。私はグループルームか、ライターの仕事場所にいるかのどちらかで、食物を料理したり、トイレを掃除したりしなければいけないようなことは、決してなかったのです。


 私はどんな風に一日を過ごしていたかの
 円グラフを作りました、
 そして右目だけを開いてそのグラフを見たとき、
 私は言いました:
 「私は何か別のことをしたい。」



ただ自分自身がポイントBにいるのを素早く見つけたというだけで、それは全く卒業ではなかったのです。地図上の次のポイントに到着するまで、とても長い、何年もの時間がかかりました。それが起ころうとする時には、いくつかのサインがありました。あるグループのエクササイズで私は、どのように自分が一日を過ごしていたか−様々な活動に、向けられている時間の割合がどれくらいかを、円グラフにするという実験を行いました。

私は6時間を仕事のセクターとして描きました(もちろんとても大雑把な話です。なぜなら私の職業では、時間は日によってドラマティックなまでに異なるからです。)私が左目を覆って、右目だけでこのグラフを見たとき、私は自分のグループ・パートナーに向かって声に出して言いました、「私は今と同じように1日に6時間働きたい、でも何か別のことをしたい。」と。このとき、私の男性性の部分が初めて、多分セラピーは自分のしたい事じゃないと、表現していたのです。

何か新しいものが地平線から登ってこようとしている、もう1つのサイン:「しかし私がお金を稼いでいるのだから、私が最終的な決断をしなければならない。」という文章が私のマインドに聞こえてきたとき、私はただ家でうろうろと歩いていました。自分自身に言うには、奇妙な文章です。私は考えました、私には2つの部分があって、その1つが主張しているのだと。そして私は、主張している方の部分が、急に「ダウン」するのを感じられました。この推理が正しいように感じられたので、倒れたのです。(内なる男性、内なる女性の体験

とにかく、ポイントCへと緩やかに接近していたのです:


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1つ目の仕事との対立

反対していた部分を認識するのに、幾らかの時間が掛かりました。ただ時間がかかったというだけではなく、新しく現れてきた部分が、所有欲や競争と言った古い失敗を繰り返した、苦悩の時期でもありました。


 自分の中の1つの部分だけが
 成長していたということが
 私に起こりました。



私は驚いて観ていました:「こんなこと、もう通りすぎてきたんじゃなかったの?」そしてゆっくりと、私の一部分(女性性)だけが成長したので、もう一方の部分(男性性)は、あたかも別人であるかのように、女性性が踏んだのと同じステップを、今から踏まなければならないのだということが思い浮かびました。」

私はフランスの田舎から、ミラノという大都市に引っ越しました。その頃には、私は自分の男性性の側を、自分の人生の中で完全に歓迎していました。私は意識的にシフトしたのです:私は全ての意思決定を行う者として、自分の男性性を完全に信頼し、そして一年の終わりに金銭的な状況が悪化しているかどうかを見てみようと決めたのです。私のサバイバルに関する疑いが、浮かび上がり始めました:もし私の活動が、男性性の側の指示によって変化したら、おそらくお金は十分になくなってしまうのではないか、特にミラノのような物価の高いところでは。

結果として、私の活動の主な流れは変化しませんでした。しかしながら、男性性の側は、もう彼のエナジーを個人セッションに捧げることはしないと、決定しました。以前は1日に4セッションできたのですが、今それは2セッションに減らされています。だから彼が価格を上げたことになります。私の男性性の側は、自らが創設したコンシャス・リビングという協会への関わりを増やし、財政的な概要と、社交と音楽を伴うパーティーに、より大きな責任を持つようになりました。彼は、ジョークを言い、人と一緒に笑うことを楽しみましたが、グループルームという特別な部屋よりも、「現実の生活」という一般的な状況でそうしたのです。見よ!1年後、銀行残高は全く同じでした。そして私は、もし人がサバイバルについて考えすぎさえしなければ、サバイバルは起こるのだということを信頼し始めました。


 ほとんどいつでも
 私達の2つの側の1つが
 より好まれて
 そしてその好まれた方が
 優勢となるのです。



私は、男性性と女性性の要素に関連したリーディング、あるいは体験的なワークのために私のところを訪れるクライアントの中にいつも見ている何かの例を示すために、私の個人的なストーリーを語っているのです。ほとんどいつも、私達の2つの側の片方が好まれ、そしてそちらの側が優勢となるのです。その側は、全ての注目を受け、自分自身の興味を試すことに着手して、そして強く美しくなるのです。もう片方の側には反対する勇気がありません(消極的に反対するかもしれませんが)。それは普通、最善の場合でも、ある種の協力者かサポーターとなります。最悪の場合、召し使いとなります。しかしそれはいつも、より輝く星である、1番目の方を向いています。そして自らの自然な性質とのつながりを失っているのです。要するに、それはほとんど、自分が本当は何がしたいかを見つける方法を、忘れてしまっているのです。

サバイバルの恐怖をもたらすのは、この2つ目の部分なのです。それは1つ目の部分を助けるのを止めることを恐れています。そしてもちろんそれは助けるのを止めなくてはならないのです、もしそれが自らのエナジーを何か新しいことに注ぎたいのなら、もう片方の側が当たり前と思っている自動的なサポートの終了を宣言しなければならないでしょう。けれども大きな罪悪感に打ち勝たねばなりません。なぜなら2つ目の部分は、こう感じるのです、「私は、私達が生き残るために学んだやり方から、手を引こうとしている−この意味で、私はあなたの味方でない人だ。私は途方に暮れている。そして私は、自分が代わりに、何か他の方法でお金を作ることができるかどうかわからない。」2つ目の側は弱いのです。2つ目の側には経験がありません。2つ目の側は困惑しています。もしチャンスがそこにあれば、創造性として何がやってくるのか、2つ目の側は明確なアイデアを持っていないのです。


 私達はサバイバルの恐怖を
 健康的な対立の
 ポジティブなサインとして
 受け取っても構わないでしょう。



これが私達の状況です。でも少し自分が地図上のどこにいるかを認識すれば、私達はサバイバルの恐怖を、健康的な対立のポジティブなサインとして受け取れるかもしれません。OSHOが言うように、川が流れるためには、2つの岸が必要なのです。遅かれ早かれ、人は2つ目の岸を建設しなければならないのです。正しい時においては、恐怖は禁止ではないのです。まず恐怖がやってきて、それから少しして、勇気が後からやってくるのです。


(Bodhi Dharm 訳)


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内なる男性、内なる女性の体験

Inner Male, Inner Female Experiments(OSHO NEWS Online Magazine ー 23 February 2014)

※サガプリヤが、私達の内側の、男性性と女性性の側面に触れるためのメソッドを分かち合います。

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先日、私はこのオンラインマガジンをサポートしてくれている天才、プーニャとメールしていました。そして彼女は、長い間、私のセラピーワークの一部となっているテーマである、内なる男性と女性に関心を示しました。プーニャは、OSHOが体を離れて間もない頃(随分前ですね)、私のミアストでのワークショップの一つに参加したことがあって、彼女は自分の片方の側が、働いて、お金を集め、ストレスを受ける側で、もう一方がアーティスティックで、より怠け者で、くつろいだ部分であることを覚えていました。彼女は私に訊ねました、「今でもそれが同じなのか知りたいの−どうしたらわかるかしら?」


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■ 簡単にわかります

簡単です、紙にあなたのこれらの6つの質をリストとして書き出します。ある質が別の質の下に来るように、例えば「私は働いています。」と書いて、その下には「私がお金を集めています。」というように。

片方の目を、手の平、またはハンカチ(私は眼帯を使います)で覆い、もう片方の目は開いたままにしておきます。右目を開け、左目を閉じた状態で始めましょう。あなたの右目は、あなたの男性性の部分である、身体の右側全体とつながっています。そしてあなたが発言するとき、この目は、その発言が真実かどうかを知るでしょう。あなたは、「はい、真実です」、または「いいえ、真実ではありません」、あるいは「わかりません」といったようなことを示す、自分の頭部の動きや、顔の表情にも、気づくことでしょう。

リストの最初の項目を、声に出して読み上げてください:「私は働いています。」

もし彼(男性性)がその後に、「実際のところ、私は働いていないのだよ、OSHO Newsのことを言っているのであればね。私は何か仕事とは別のことをしているんだ。」と言っても、驚かないでください。もし彼が話すのをやめたら、ただ会話を続けるようにしてください−「たとえばどんなこと?」「ああ、私は車の面倒を見ているし、ドライブもしている、私は友達とスカイプをするし、アパートのいろんなことが、ちゃんと機能するように管理している…」 徐々にあなたは、この男性について知るようになるでしょう、「ストレスを感じている」、「リラックスしている」、「アーティスティックだ」といった、あなた自身を描写した6つのラベルについて、これを行っていくにつれて。

終わったら、この質問を付け加えてください:「あなたの人生で、最優先事項の上から3つは何ですか?」

男性であれ女性であれ、自らが本当に関心を持っていることに対してエナジーを注いでいる人格もあれば、自分の優先事項は何かという概念を持っていない、優先事項のところが白紙の人格もあります。

今度は同じことを、反対の目を開いて試してみてください(右目を覆います)。左目は女性性に属しています、そして身体の左側全体とつながっています。「私は働いています…ええ、そうよ、その通りよ。私は本当に働いています、働きすぎているくらいだわ。」 会話を続けてください。「働きすぎ?もしお金がたくさんあったら、あなたの活動の中で、どれを続けて、どれをやめたいですか?」

一つの項目について女性性が続けたくなくなった時にはいつでも、次の項目に移ってください。6つの項目の全てが熟考されるまで。最後に彼女に、人生における優先事項の内、1番目、2番目、3番目に重要なものを、教えてくれるように頼んでください。


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■ この情報を、どうしたら良いのでしょうか?

この種の情報を、外へと引き出すのは、本当にとても簡単なのですが、それを解釈するには、さらなるスキルが必要とされます。もしも、プーニャの両側の内の片方が、非活動的で、俗にいう怠け者であるケースだと判明すれば、私は経験を積んだ聴き手として、その反対側が優勢であるという結論を出すでしょう。なぜなら、誰も決して自分自身のことを、「怠け者」とは呼ばないからです、人は相手に向かって「怠け者」と言うのです−それは相手に今と違う状態になってほしい、パワーポジションにいる者からやってくる、強い価値判断を帯びた言葉なのです。

2人の内の優勢な人物は、全ての空間と時間を、自分自身の活動でぎっしり埋めていて、さらにもう片方の側に、自分の優先事項を達成するのを助けることさえも、期待するのです。従順な人格は、時々これに応じますが、それは事態をさらに悪化させるだけなのです。従順な側は、やがては自分のエナジーの全てを、自分自身の目標のために必要とするようになります、もう片方の目標のためではなく。

どうしてでしょうか?なぜなら生とは自転車に乗るようなものだからです。それぞれの側が、自らのタスクに向かってエナジーを注がなくてはならない、一定のリズムがあるのです。優勢な側が、より弱い側に助けを求めるとき、それは両足に同時に自転車の一方のペダルを踏み込めと言うようなものなのです。反対側のペダルを担当する人が、誰も残っていないので、自転車は、どさりと倒れてしまいます。

優勢な人格に全てのエナジーを与えてしまった従順な人格はー相手が自分のペダルをこぐのを助けるためにー人生にいかなる優先事項も持たないことでしょう。彼は(もしその人格が男性なら)その問いについて考えることすらないでしょう。その代わり、優勢な人格は人生において成し遂げたいたくさんのことがあります(それが彼女であるとしましょう)、そしてあなたはそれらの優先事項が、愛の人生か、それとも恐怖の人生か、どちらに導くのか聞くことができます。


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■ もういくつか、リストを与えさせてください


 恐怖の優先事項
 快適さ
 安全
 お金
 名声
 認められること
 パワー
 愛の優先事項
 自分自身を知ること
 瞑想
 創造性
 慈悲
 美
 笑い、楽しみ



恐怖の優先事項は、あなたがリラックスしたときに減少します。それらが減少していることに気づき、あなたはリラックスしていることを止め、それらをあなたの望むレベルに保つための努力を始めます。これはもちろんあなたを緊張させます。別の言い方をすると「ストレスを受けます。」そしてあなたは常に、もし努力を続けなければ、自分が向かっている目標を失ってしまうだろうという恐怖に苦しめられるのです。

愛の優先事項は、あなたがリラックスしたときに増えるのです。それらが増えることに気づいて、あなたはさらにリラックスします。あなたは成し遂げたいと望むことを、苦闘することなく成し遂げているのです。

優勢な人物が、愛の優先事項のために生きているとき、両者の中のリーダーであり続けることが可能です。なぜなら愛していて、もう片方の側が成長することを望んでいて、もう片方の自己表現をあらゆる方法でサポートするからです。

優勢な人物が、恐怖の優先事項のために生きているとき、それは2つ目の側が強く成長し、自分自身のするべきことを持つこと、そして大きくなった自尊心を体験することを望みません。その場合、その人物はそのシステムの中のリーダーであり続けるべきではありません。より弱い側は、とても小さいとはいえ、自らの愛の内なる源泉をどのようにして見つけるか、そしてどうやってリーダーシップを引き受けるかを、教えてもらうことができるのです、たとえその時点では、それが自分自身に対するリーダーシップに過ぎないとしても。


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■ 解釈と、より明晰さを得る方法

もし再び、プーニャの片方の側が働き、お金を集め、そしてストレスを受けていて、もう片方がアーティスティックで、非活動的(怠け者ではありません)で、そしてリラックスしているなら、彼女は、自分の従順な部分が、本当は人生で何をすることを望んでいるのかを、より明確に見つけ出す必要があります。「アーティスティックであること」と、「リラックスしていること」は、何らかの愛がそこにあることを示しているでしょうが、非活動性は、それが自分自身の道を歩んで行くことを妨げられてきたことを示しています。

非常に活動的な部分は、人生の中で自分が占領している空間を、減らす必要があるでしょう。最終的には、それは50%を超えるべきではありません。このことがもう一方の側に、実験したり、過ちを犯したり、何であれ新しい活動において習熟したりするチャンスを、与えることでしょう。私は、それでOSHO Newsが崩壊してしまうとは思っていません。OSHO Newsが続くことを望む人々がたくさんいますし、より弱い側における、新しい信頼性と、新たな種類の権限が、彼らを惹きつけてOSHO Newsに近づかせることでしょうし、多分彼らを参加させることにさえなるでしょう。

プーニャは既にボイス・ダイアローグとゲシュタルトのテクニックを知っているので、彼女は2つの人格の間に何が起こっているのかを、自分で簡単に見つけ出すことが出来ました。彼女は、それぞれの人格に、彼女あるいは反対側の極性に向かって、順番に話をさせ、自分自身を表現させることが出来たのです。彼らが言ったことが何であれ、それぞれの部分が渇望していることが何かを、明確にしたことでしょう。一旦このことが明白になると、誰も敗者になる必要がなくなるのです;プーニャは間違いなく、より無視されている部分にスペースを与える良い方法を、見つけ出すことでしょう。


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■ スターサファイアの個人セッションでは

内なる男性性と女性性についての、スター・サファイヤのセッションの最初に、私はよく何が起こっているかについて、根拠のある推測を行います。つまり、私は人々に働きかけた過去の経験に基づいた、推測あるいは仮説を持っているのです。そしてそれから − ある意味、探偵のように − セッションが開いていくのを観察して、自分が正しいかどうかを確認するのです。

通常、私の最初の推測をまとめるには、数秒しかかかりません。でも今回は、随分長い時間がかかりました。物事を説明しなければならなかったからです。本当のセッションでは、クライアントの言うことに耳を傾け「直感」を感じると、私は直接身体へと向かい、2本の脚に触れ、それから手を7つのチャクラにかざしていって、エナジーをチェックするのです。このことにより、私は身体のどこに愛に満ちたプレゼンスが存在するかについての情報、そしてまた(普通は)男性性と女性性の人物像のイメージを手に入れるのです。

それから私は、片方ずつの目に話しかけられるように眼帯を使って、2つの目にインタビューします。もしあなたが提案された実験をやってみたのであれば、これはあなたが通ってきたのと、全く同じプロセスです。でも私の場合は、エナジーチェックでわかる情報によって、問うのに一番良い質問が何かが分かっているのです。何か新しいことを知ることを必要とすると言うよりは、私は女性性と男性性の部分が、身体のより深くにある真実に触れているかどうかに、聞き耳を立てているのです。

そしてそれから、もし適切であれば、私は2つの椅子を、互いに面するように置きます。それぞれの人格―男性と女性に1つずつです。とうとうこの2人が、お互いと話すのです。でも最初に私は、クライアントが、それぞれの正確な(あるいは比較的正確に)説明を手にいれられるように助けます。それには大体10分くらいかかります。それから私は、彼らがコミュニケーションを取ることを勇気づける、ゲシュタルト療法の応用版を行うのです。

私は自分の興味が、コミュニケーションには無いことを認めなければなりません、それが助けになるにも関わらずです。私の興味はプレゼンス、それぞれの人格が瞑想的な源泉とつながっているかどうかにあります。そして私は彼らの間の対話を、彼らがまだ源泉につながっていない場合は、どうやってその源泉につなげるかというアイデアを得るために使います。両方がつながっている場合、彼らの関係はうまく行きます、なぜならそこにはー存在から存在へのー滋養があるからです。両方が内側でつながった瞬間から、より弱い側が自らの正当なスペースを手にして、それを遊び心と喜びに満ちて使い、そしてより強い側が、相手にステージを与えるために、スポットライトの当たるところから出て行くのは、時間の問題に過ぎなくなるのです。

プーニャは、自分に必要なツールを全て持っているので、私は彼女がセッションを申し込んでくれることを期待しません。おそらく私達が次に会うとき、私は彼女が、自分の無視されてきた側に、より多くのスペースを与えられたかどうか、怠惰と呼ばれるものが、創造性に置き換えられたかどうか、ストレスを受けているフィーリングがなくなったかどうか、そして2つの側が、お互いをかけがえのないパートナーとして体験しているかどうかを、見つけ出すことができるでしょう。


(Bodhi Dharm 訳)


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サガプリヤから、OSHOへ質問

サガプリヤ: セラピストという役割を果すことは、私自身の精神的な成長にとって危険なのでしょうか?人々を助け、しかも同時に、私自身のエゴを溶かし去ることは可能でしょうか?

私はハッキリとしている部分と、明晰さとは無関係でいたがっているもう一方の部分との間の、微妙な戦いが内側で続いているのを感じます。

あなたのガイダンスのもと、私は自分の見る能力を使う時、他者を支配せずにいることを学びました。でも依然として私は、私自身を支配しているのでしょうか?

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OSHO: サガプリヤ、セラピストの役割は非常に微妙で、複雑なものだ。まずセラピスト自身が、助けようとしている相手と同じ問題で苦しんでいる。セラピストは、技術を使っている者にすぎない。彼は自分がマスターだ、と自分自身をごまかし、その振りをすることも出来る。これは、セラピストとしての最大の危険だ。だがほんの少しの理解で、ものごとは変わってくる。

まず「他の人々を助ける」という見地から考えないことだ。それがあなたに、救世主である、マスターであるという考えを与える。するとエゴが裏口から再び入り込んで来る。あなたが重要になる。あなたは、グループの中心だ。誰もがあなたを尊敬している。

「助ける」という考えを落としなさい。「助ける」の代わりに「分かち合う」という言葉を使いなさい。あなたは、何であれあなたの持っている洞察を分かち合う。参加者は、あなたより劣っている誰かではない。セラピストもセラピーを受ける者も、両者とも同じ舟に乗っている。セラピストはほんの少し知識があるにすぎない。あなたの知識は借物だという事実に覚めていなさい。あなたが知っていることは何であれ、それがまだあなたの体験ではないことを、一瞬たりとも忘れてはいけない。そしてこれが、あなたのグループに参加している人々を助けることになる。

人間は、非常に微妙なメカニズムだ。それは、両方に働きかける。セラピストはマスターになり始める。そして、助けるよりもむしろ参加者の何かを破壊している。なぜなら、参加者も技巧のみを学ぶことになるからだ。愛に溢れること、分かち合われる友情、信頼の雰囲気はなくなる。そのかわり、「あなたはより多くを知っている。私は少ししか知らない。いくつかセラピー・グループに参加することで、私もあなたと同じくらい多くを知るだろう」

参加者自身が、徐々にセラピストになり始める。ほとんどの国で、何の学位も要求されていないからだ。ごく少数の国が、受け容れることの出来ないあらゆる種類のセラピーを禁止し始めた・・治療学、精神分析、精神療法の分野の、大学の資格を得た者のみが、セラピー・グループで人々を助けることが出来る。

これは、世界中のほとんどあらゆる国で起こることになるだろう。セラピーが、ビジネスになってしまったからだ。そして資格のない者がそれを牛耳っている。彼らはテクニックは知っている。テクニックなら学ぶことが出来るからだ。いくつかグループに参加することで、彼らはあらゆるテクニックを知る。その上に、自分自身ででっちあげも作ることが出来る。だが、統括する術はない・・

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だが、覚えておきなさい・・あなたが「助ける者」を演じる時、「助けられる者」は決してあなたを許しはしない。あなたは、彼のプライドを傷つけた。あなたは、彼のエゴを傷つけた。あなたは、そんなつもりではなかった。あなたは、ただ自分自身のエゴを膨らませたかっただけだ。だがこれは、あなたが他人のエゴを傷つける時にしか起こり得ない。あなたは、他者を傷つけることなしには、自分のエゴをふくらませることは出来ないのだ。あなたのより大きなエゴには、より大きなスペースが必要になる。そして、他者は、あなたとともに在るために、自分のスペースを、自分の人格を縮めなければならない。

まさに最初から、真摯な愛情深い人が・・そして、私は、愛に勝る治療はないことを絶対的に必要なポイントとする。技巧は助けることが出来る。だが、真の奇跡は愛を通して起こる。セラピーに加わっている人々を愛しなさい。そして、彼らの中の一員でいなさい。より高いとか、より神聖だという気取りなしに。

まさに最初から、明確にしなさい。「これは、私が学んだテクニックだ。私の体験はほんの少しだ。私はあなたにテクニックを与える。そして、私の体験を分かち合う。だが、あなたは私の弟子ではない。あなたはただ、まさかの時の友だ。私にはいくらかの理解はある。そんなに多くではないが。私はそれをあなたと分かち合うことが出来る。」おそらく多くの者が、様々な分野、様々な方向からの彼ら独自の理解を持っている。彼らもまた、自らの体験を分かち合い、グループを豊かにすることが出来る。

言葉を換えて言えば、私が言っていることは、セラピーのまったく新しい概念だ。セラピストはたんにコーディネーターに過ぎない。ただグループをより静けさに満ち、穏やかにしようと試みる。彼は、何も間違った方向に行かないよう目を見張る。マスターというより、むしろ保護者だ。

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そしてあなたもまた、明確にしておかなければならない。「私もまた、自分の体験を分かち合おうとする中で学んでいる。あなたの話に耳を傾ける時、それはあなただけの問題ではない。私の問題でもある。そして私が何か言う時、私はそれを言っているだけではなく、聞いてもいる」と。

あなたが特別な誰かではないことを、強く明確にしなさい。これはグループの始めになされなければならない。そして、グループがより深く探求していく中でも、それを続けなければならない。あなたは、ただ数歩だけ先を行っている年長者であるにとどまる。さもなければ、あなたは人々を助けることは出来ない。彼らはテクニックを学ぶだろう。そして、自らセラピストになっていくだろう。それに、愚か者は充分にいる。地球上には50億の馬鹿者が・・彼らは、彼ら自身の追従者を見い出すだろう。

人々が自分を尊敬し始めると、「人々が私を尊敬しているのなら、私には何か偉大なものがあるに違いない」と考え始めるのは、人間の弱さだ。人々は悩んでいる。彼らは、人間の脆さゆえに苦しんでいる。だが、あなたも人間だ。そして、間違いを犯すことは、まったく人間的なことだ。どんな非難もなしに、大いなる愛を持って、彼らが自分自身を開くのを助けるがいい・・それは、あなたが自分自身を開いてのみ可能だ。

私は、奇妙な事実に出くわしたことがある。見知らぬ者同士は、自分が知っている相手には決して言えないようなことを語り合う。列車の中で、あなたは誰かに会う。あなたは、相手の名前を知らない。その人がどこへ行くのか、どこから来ているのか知らない。すると、人々は分かち合い始める。私は国中を20年間休むことなく旅し、人々が自分たちの秘密を見知らぬ相手に打ち明ける奇妙な現象を見てきた。なぜなら見知らぬ人間は、それを食い物にはしないからだ。次の駅が来ると、見知らぬ相手はいなくなる。おそらく2度と会うことはあるまい。それに彼は、あなたの評判や何かを落とすような関係にはない。

それどころか、あなたがあなたの秘密を、あなたの弱さを、あなたの脆さを分かち合うことで、相手はより自信を持ち、あなたに対してより多くの愛情を、信頼を寄せるようになる。あなたの信頼が、あなたに対する彼らの信頼を呼び起こす。あなたがあまりに無垢で、あまりに開いているのを見、彼らは開き始める。それは連鎖反応だ。

だが、あなたがマスターになってしまったら・・このコミューンから、幾人かの愚かなセラピストがマスターになった。彼らは、彼ら自身の実存について何ひとつ知らない。彼らは、存在の神秘について何ひとつ知らない。彼らが知っているすべては、ある特定のマインド・ゲームだけだ。もし、あなたが行き着いた人のガイダンスのもとに究極的にいるのなら、そのマインド・ゲームも助けになり得る。セラピー・グループは、確かにほんの少し混乱をなくし、ほんの少し明晰さを創ることが出来る。

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だが、セラピー・グループは最後ではない。それは、ほんの始まりにすぎない。それは瞑想のための準備だ。瞑想が光明を得ることへの準備であるように。

あなたが、ものごとの単純な算術を理解すれば、それを難しいと思うこともないだろう。そして、あなたはもっとグループを楽しむ。グループはあなたと共に、より深く行くことが出来るからだ。あなたは、グループの教師であるだけでなく、学ぶ者でもある。

カリール・ジブランの「預言者」、アル・ムスタファは、素晴らしい言葉を残している。誰かが「学ぶことについて何かおっしゃってください」と尋ねた時、彼は言った。「あなたが尋ねたから、私は話そう。だが、覚えておくように。私は話している。そして、私もまた、あなた方と共に聞いているのだ」

私はここポディウムの上にいる。そして私は、あなた方の中に坐ってもいる。私は、まったく特別ではない。それが、人々を近くに引き寄せる。特別だと自慢することは、隔たりを生む。エゴの充足は、愛の雰囲気を破壊する。そして、私はもう一度繰り返す。愛よりも偉大なセラピーは存在しない。

あなたのグループの参加者になった人々を愛しなさい。あるべき姿としてではなく、あるがままの彼らを愛すのだ。彼らは生涯にわたって、あらゆる類の宗教、政治、神学、哲学の指導者に苦しめられて来た。指導者たちは、人々が従えば愛する、人々が自分たちの考えに沿ったイメージになれば愛する、そういった者たちだ。彼らは、あなたを完璧に殺し、粉々にし、自分たちの考えに従ってあなたを組み立てた時にのみ、あなたを愛する。

すべての宗教が人類に対してそうして来た。無傷でいた者はいない。そして、この人々は自分たちが助けていると思っている。意識的に彼らは、あなた方に、理想、イデオロギー、規律、戒律を与えていた。あなた方を助けたいという、確固たる態度を持って。さもなければ、あなた方が道に迷うだろうと。彼らは、あなた方の自由を信頼することが出来ない。あなたの尊厳に敬意を払うことが出来ない。彼らは、あなた方をあまりにも貶めて来た。そして、誰ひとり反論さえしない。

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私は、私の友人のひとり、優れた医者の言葉を思い出す。彼がまだ生きているかどうか、私は知らない。ここ6年間、彼のことを何も聞いていないからだ。彼は、私がボンベイへ、それからプーナへと移る前に住んでいた都市で、もっとも著名な医師だった。彼は私に言った。「私の全生涯の体験は、医者の役目は患者を治すことではないということなんだ。患者は、自分自身で治す。医者は、ただ愛に満ちた雰囲気、約束を与える。医者は、ただ自信、生き返ること、長く生きることへの熱望を与える。薬はみな二次的な助けだ」だが、もし人が生きる意欲を失ったら、彼の全生涯の体験では、どんな薬も何も助けにならないことになる。

セラピストの状況も同じだ。セラピストは、人々の心理的な問題を治す人ではない。彼らは、愛に満ちた雰囲気を創れるだけだ。その中で、彼らは自分たちの抑圧された無意識な空想、抑圧、妄想、欲望を、笑われるという恐怖なしに、みなが慈愛と愛情を感じてくれるという確信を持って開くことが出来る。グループ全体が、治癒的な状況として機能すべきだ。

セラピストは、単にコーディネーターにすぎない。セラピストは、心理的に病み、かき乱された人々を集め、ただ何も間違った方に行かないように見ている。そして、もしある考えで、ある洞察で、ある観察で、彼らを助けられるなら、あなたが体験を得ていない限り「これは私の体験ではなく、私の知識にすぎない」ことを常に明確にしなさい。

もしあなたが真摯で、真実で、正直で、真正なら、決してマスター、救世主になる罠に落ちない。落ちるのは非常にたやすい。あなたがマスターに、救世主になると・・あなたは、そうではないのだが・・こうした人々を助けてさえいない。あなたはただ、こうした人々を、彼らの弱さを、彼らのトラブルを食い物にしている。

世界中の精神分析のムーブメント全体は、起こっている事柄の中でもっとも搾取的な試みだ。誰も救われない。みな途方もなく搾取されている。誰も救われていない。なぜなら、精神分析医、精神治療家は・・心理学は、多くの派に分かれて来た。だが彼らはみな、同じ仕事をする。彼らは、あなたを患者に貶める。そして、彼らは医者だ。

そして問題は、彼ら自身が同じ病で苦しんでいることだ。精神分析医ひとりひとりが救いを求めて、年に2回は他の精神分析医のもとへ行く。これは偉大なる陰謀だ。あらゆる狂気に耳を貸していると、あなたがマインドとその問題を超えていないかぎり、あなた自身も気が狂っていく。あなたは、あなたの患者が苦しんでいるのと同じ問題で苦しみ始める。彼らを治すよりむしろ、彼らがあなたを病気にしている。だが、責任はあなたにある。

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愛を、開かれた感覚を、誠実さを持ち込みなさい・・彼らがハートの扉を開き始める前の・・彼らはあまりに堅く閉ざしているので、誰も自分の問題が分かっていない・・精神療法家の最初の役目は、自らのハートを開き、自分も同じ人間であることを彼らに知らせることだ。同じ弱さに、同じ性欲に、同じ権力への欲望に、同じ金銭への欲望に悩んでいる。苦悩と不安に悩んでいる、死の恐怖に悩んでいる。

あなたのハートを余すところなく開きなさい。それが、他者があなたを信頼する助けとなる・・あなたが何かに成りすましているのではないと。救世主、預言者、メッセンジャー、ティータンカラ、アバタラは、完全に姿を消した。今日では、彼らの誰も受け入れられないだろう。今度もし彼らのうちの誰かが再び現れても、人々は石を投げて殺すことさえしないだろう。人々は彼らを笑い者にするだろう。彼らはただこう言うだろう「あなたは馬鹿だ。自分が人類全体を救えるという考え自体が、狂気の沙汰だ。まず、あなた自身を救うことだ。そうすれば、私たちはあなたの光を見るだろう。そしてあなたの壮大さを、光輝を見るだろう」

信頼はひとりでにやって来る。それは要求されるものではない。それはちょうど、山からの新鮮なそよ風、大海からの高波のようにやって来る。そのためにあなたがしなければならないことは、ただ正しい時に、正しい場で開いていなければならない。あなた以外の誰も、あなたを救うことは出来ない。私はあなた方に言う、あなた自身の救世主になりなさい。

だが、助けは条件つきで可能だ。それが愛と共にやって来ることだ。「あなたは私を信頼し、あなたのハートを開いてくれた」という感謝と共にやって来ることだ。

セラピストの役割は、サガプリア、確かに非常に複雑だ・・しかも、愚か者たちがそれをやっている!状況は、まるで肉屋が外科手術をしているようなものだ。彼らは切り方は知っている。だが、それで彼らが脳外科医になれる訳ではない。彼らは水牛、牛、あらゆる類の動物を殺せる。だが、彼らの役割は死に貢献するものだ。セラピストは生に貢献する。セラピストは、自分自身を生きることで、ハートの静けさに向かうことで、生への肯定的な価値を創らなければならない。

あなた自身の中に深く在れば在るほど、あなたは他者のハートの中により深く行き着くことが出来る。それはまったく同じことだ・・あなたのハートも他者のハートも、それほど違うものではないからだ。もし、あなたがあなたの実存を理解すれば、誰もの実存を理解する。そしてその時、あなたは自分もまた愚かだったこと、幾度も堕落したこと、自分自身に反して、他者に反して罪を犯して来たことを理解する。もし、他の人がまだそうしているとしても、非難する必要はない。彼らは気づかされなければならない。そして、彼ら自身に任されるべきだ。彼らを特定の枠の中にはめようとしてはならない。

そうなったら、それがセラピストで在る喜びだ。なぜなら、あなたは人間の内面を知るに至ったからだ。生のもっとも秘められ、隠された場所のひとつを。そして他者を知ることで、さらにあなたはあなた自身を知る。これは悪循環だ。他に言葉がない。さもなければ、私は「悪」という言葉は使わない。

私が言葉を作るのを許して欲しい。これは「徳循環」だ。あなたはあなたの患者に、参加者に開く。すると、彼らは彼ら自身をあなたに開く。それは、あなたがさらに開くのを助ける。そしてそれは、彼らがさらに開くのを助ける。すぐに、セラピストはいなくなる。患者はいなくなる。ただ、愛に満ちたグループが互いを助けている。セラピストがグループの中に消え去らない限り、彼は成功したセラピストではない。それが私の基準だ。

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サガプリア、あなたは言っている。「あなたのガイダンスのもと、私は私の見る能力を使う時、他者を支配しないことを学びました。でも、依然として、私は私自身を支配しているのでしょうか?」

それらはふたつのことではない。支配は支配だ。あなたが他者を支配しようと、あなた自身を支配しようと・・。もし、あなたがあなた自身を支配しているのなら、その時は、ある微妙なやり方で、あなたは他者をも支配することになる。そうならざるを得ない。

あなたが落とさなければならない最初の支配は、他者に向けてのものではない・・彼らがあなたの支配を受け容れるかどうか、それは確かではないからだ。あなたが落とさなければならない最初の支配は、あなた自身へのものだ。なぜあなた自身囚人になり、大変な努力をして自分自身の周りに牢獄を築き、自分が行くところどこにでも、それを持ち運んでいくのかね?

まず自由の、広大な空に翼を広げる鳥の歓喜を学びなさい。あなたの自由そのものが、他者のための変容の力となる。支配はあまりにも醜い。それは、何の羞恥心もない政治家に任せておきなさい。・・・・彼らは、ただ虚ろに感じる自分の内側を満たすために、さらに多くの権力を手にしようとしている。

外から見れば、内側は空っぽだ。内側から見れば、全世界は空っぽだ。
唯一、あなたの内側だけが溢れている。だが、溢れているものは不可視だ。あなたの実存の香り、愛、至福、法悦、沈黙、慈愛・・何ひとつ目で見ることは出来ない。それ故にあなたが外側から見ても、すべてが空っぽに思えるのだ。すると、強い衝動が起こる。いかにして、それを満たすか?金銭で、権力で、地位で、大統領に、首相になることで・・?何かをして、それを満たすのだ! 人は内側の空っぽ、内側の空虚と共に生きることが出来ない。

だがこうした人々は、内側に入ったことがない。彼らは外側から覗いただけだ。これが問題だ。外側からは、あなたは物質を見ることが出来るだけだ。愛は物ではない。至福は物ではない。光明を得ることは物ではない。理解は物ではない。知恵は物ではない。それはみな、人間の存在における偉大さだ。生は主観的だ、客観物ではない。だが外側からは、物が見えるだけだ。

それは、どんなゴミでも自分の虚ろな内側を満たそうとする、途方もない緊急性を与える。借り物の知識でそれをいっぱいにしている人々がいる。自ら好んで自分を痛めつける、それをいっぱいにしている人々がいる・・彼らは聖人になる。首相になるために、大統領になる為に乞食でいる人々がいる。あらゆるところで、空虚な人々が他者を支配せずにはいられないという必要にかられている。それが彼らに、自分たちは空っぽではないという感覚を与える。
サニヤシンは、自分の主観の中に、内側から分け入ることから始める。そして、途方もない宝、尽きることのない宝に気づくようになる。そうしてのみ、あなたはあなた自身を支配することをやめる。そんな必要はまったくない。その瞬間から、あなたの努力のすべては、個人として在ることを、自由を、至福、充足、平和の途方もない、尽きることのない源泉をみなに気づかせることになる。

私にとって、セラピーが瞑想のための土壌を整えるのであれば、セラピーは正しく起こっている・・患者のための土壌、そして、セラピストのための土壌、両方を。セラピーは、あるポイントで瞑想へと向かわなければならない。瞑想は、あるポイントで光明を得ることへと向かう。こんなにも途方もない潜在性を持ちながら、ただ乞食のままでいるとは・・

私は、他の人のことを考えると、ときおりとても悲しく感じる。彼らは乞食ではない。だが乞食のようにふるまっている。そして、物乞いを落とす用意がない。物乞いこそ、自分たちが得たすべてなのだと恐れているからだ。物乞いを落とさない限り、彼らは自由が皇帝だということを、自分の帝国が内側にあることを決して知ることはないだろう。

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サガプリア、あなたは人々を支配するのをやめているにしても、自分自身を支配し始めているのではないかと疑っている。これでは何も変わっていない。あなたはメッセージ全体を誤解した。

間違いを犯すこと、誤解することは人間的なことだ。だが、彼女は知性的な女性だ。セラピーの新しい考えを上手く扱うことが出来る。彼女はセラピーの先駆者になることが出来る。だがあらゆるところに、あまりにも多くの愚か者がいる。あなたが何か愚かなことを始めれば、追従者がついて来るのを目にすることになる。

・・サガプリア、あなた自身を可能な限り深く理解しようとしてごらん。セラピーは二の次だ。あなたが瞑想と沈黙を通して、自分の実存を精錬しない限り・・私は、ワークをやめなさいとは言っていない。私は、その質を変容しなさい、と言っているのだ。それを真のワークにしなさい。あなたのハートを開きなさい。彼らにあなたの弱さを語るのだ。彼らにあなたの問題を話すのだ。彼らの助言を求めなさい。彼らはあなたを助けられるだろうか?ひとたび参加者が、セラピストはエゴイストではないことを理解すれば、彼らは絶対的な謙虚さと、開いたハートと共にやって来る。そうすれば、あなたは彼らを助けることが出来る。

だが常に、いつでも覚えておきなさい・・セラピーそれ自体では、不完全だ。完璧なセラピーでさえ、最初のステップにすぎない。第2のステップがなければ、それは無意味だ。

だから、患者が瞑想に向けて動き始めた時点で、彼らに任せなさい。あなたの患者が瞑想への探究を始めた時、初めてあなたのセラピーは完了する。彼らのハートの中に、瞑想への大いなる憧れを創り出しなさい。そして瞑想もまた、ただのステップ、第2のステップにすぎないことを彼らに伝えなさい。光明を得ることへとあなたを導かない限り、それ自体もまた充分ではない。これが、努力全体の頂点だ。そして、私はあなたを信頼している、あなたにその能力があることを。

セラピーの限界は瞑想が始まる地点、そして、瞑想の限界は光明が始まる地点だということをポイントにしなさい。もちろん、光明を得ることは何かへのステップではない。あなたはただ、宇宙の意識の中へ消え去る。あなたは、蓮の葉から大海へとすべり落ちるしずくになる。だが、それはもっとも偉大な体験だ。それは、最終的に生を意味あるものに、意義あるものにする。あなたのエゴがあなたから切り離していた宇宙、その一部にあなたがなることを許す。そして、それは非常にたやすい。この沈黙と同じほどたやすい。誰も、何千もの人がここに坐っているとは考えられない。

あなたはただ、正しい方向に動かなければならない。正しい方向の感覚、そして、すべてが意識のより高い状態への踏み石になり得る。私は、あらゆることを使って来た。が、方向は同じだ。私は多くの種類の瞑想を用いてきた。外見は違って見える。112の瞑想法がある。それらはひとつひとつ非常に違って見える。あなたは考えるだろう、どうやってこの異なった手法がみな瞑想へと導いていけるのかと。だが、それは導く。さながら、花輪を貫いて通っている糸が見えないように。あなたは花しか見ない。これら100と12の花は、糸で繋がれている。その糸は、目撃すること、目を見張っていること、観照、覚醒だ。

患者が自分の問題を理解するように、出来るだけ助けなさい。だが、そうした問題を解決したとしても、同じ人間のままだということを彼らに明確にしなさい。明日、あなたはまた同じ問題を作り始める。おそらく違うやり方で、違う色合いをつけて。

そう、あなたのセラピーは、瞑想へのオープニング以外の何ものでもあるべきではない。そのとき、あなたのセラピーは途方もない価値を持つ。さもなければ、それは単なるマインド・ゲームだ。

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OSHO:The Great Pilgrimage:From Here to Here (1987)より
翻訳協力:mudito



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サガプリヤ インタビュー

サガブリア

(2002. 7/8 雑誌「fili」掲載から抜粋)

Q:今回、日本で行うワークショップについて聞かせていただけますか。

サガプリヤ:「意識的に生きる」(コンシャス・リビング)ということに、私は関心をもっています。長い間、私は瞑想の教師として、またセラピストとして活動してきましたが、そのうちに瞑想が日常の瞬間瞬間、たとえば仕事などの場でどのように応用されるのかということに興味をもちはじめました。

家の掃除や、他人とのやりとりの中で起こる機械的な習慣の数々は私たちの人生で多くの時間を占めています。しかし、その中で私たちは「眺める」(やっていることを観照する)ということを意識していません。ほとんどの人たちは、人生について何かを学ぶ必要はないと思っています。

しかし、日常での瞬間瞬間、私たちは「(ここではない)他のところにいたらいいのに」と思いながら過ごしているわけです。そこで、私は機械的な習慣となってしまったことを新鮮な方法でやることに興味を持っています。

瞑想的に生きるということを学ぶのは難しいことなので、私はそれを3つのステップで教えています。

ステップ1は「愛」がテーマです。これは2週間前に京都で行いました。まず、瞑想の基本的なところから教え、それから人間関係について。そして、「ラクダ・ライオン・子供」というものも教えました。


Q:「ラクダ・ライオン・子供」は和尚の講話にでてくる、人間の行動パターンの三分類ですね。

サガプリヤ:そうです。権威者、あるいは権威的な圧力があった時に、どのように行動するかということです。あなたはラクダのように言われたことをやるか、あるいはライオンのように抵抗することもできます。しかし、それは両方とも「反応」であって、そこには「愛」がありません。

私は、そういったときに内側に目を向けることを教えています。そうすれば新鮮な反応を自然発生的に見い出すことができると思います。時にそれは予想外の反応かもしれませんが。


Q:内側に意識をもたらすことによって、習慣的な反応パターンを脱し、新鮮でいて愛のある反応が自然に起こるわけですね。

サガプリヤ:2つめのワークショップのテーマは「内なる女性と内なる男性」で、ひとりの人間の中にある二極性を見ていきます。この二極性は愛の源です。自分の内側にある女性性、男性性が、互いに支配し合わず、それぞれが自身をもっているときに、電流が流れるように愛がそこに生まれます。

ワークショップの参加者は、その両極の力学を見ていきました。通常、そこには条件付けがあります。どうやら自分の中の両極のうち、どちらがより素敵だという暗黙の了解があるようです。



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ドゥワリ インタビュー

ドゥワリ女性の条件付け解放のグループのリーダー・ドゥワリのインタビューです。このワークのエッセンスが、すべて詰まっています。

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「周りなくして、私は誰なのだろう?」
〜ドゥワリとのインタビューから抜粋〜

女性であることについて

私が初めて和尚のもとを訪ねた時、女性であることとは何なのかを自分に問いはじめました。この問いは単に知的なものではなく、私自身の生をどう生きて来ていたのかということでした。男性と関わった私や多くの女性を見た時に、それに何も本当の女性らしさや本当の女性エネルギーが無いのを見ました。私達の関係性の中で、条件付けがどのようにとても多くの葛藤を生み出しているのかを見たのです。

初期の講和で和尚が「私はあなたのパーソナリティに関心はない。私はこの、瞬間への あなたのエネルギーのトータルさを、どのように引き出すのかを示すことに関心がある。」というのを聞きました。それは女性としてあることについて、私が抱えていたすべての概念から外に出て、実際には何が起こっていたのかを探し出すことを勇気付けてくれました。

私は自分に問い始めたのです。相手の人がいないと、私は誰なのだろう? 私自身のエネルギーの中に、生のジュースの中にいる私は誰なのだろう? 私の体、創造性、必要、価値の中での私自身について、私はどう感じているのだろう? 和尚と共に過ごした最初の2年間は、私は関係性の中にいませんでした。私はただエネルギーを内側に取りました。その一人であることという招待は、和尚からもらったものです。そして招待だけではなく--勇気でした。

私は、今までの人生を見始めました。--私のやってきたことのいかに多くが盲目であることあるいは無意識、あるいはエネルギー的に私が誰であるのか、あるいはそのエネルギーとどのように動くのかを知らないこと、から来ていたことを理解し始めました。私はいかに自分のエネルギーと繋がっておらず、無秩序であったかを見たのです。

私は瞑想すること、そして自分に戻ることを通して、私が実際は沢山のエネルギーを持っていることを感じ始めました。私が理解したのは、そのことをどうするのか、私が選べること、そして愛されるためや関係性にあるために、それを切り詰めたり犠牲にする必要がないというでした。

自分の認識がとても変化しました。「あれ。私はここにいるんだ!」という認識によって私は全く違う内側のスペースから、相手と関わるようになりました。実はただそのスペースからだけが、私が相手との関わりの中で何をしているのかを、実際に見ることが出来ることを認識し始めたのです。

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男性の必要の為に、私自身の必要を犠牲にすることを、母親から条件付けられて来たのを見ました。私の母親は、完全に自己犠牲的な女性でした。--彼女自身の人生や創造性のある衝動を、結婚そして家族を持つことそして保障を創る為にあきらめて。彼女の世代の女性にとっては自然な決断です。

男女の結婚取り引きというのは単純でした。セックスの保障と保障の為のセックスです。こういった関係性の中で愛はビジネスとなってしまい、開いていくことや拡がること、2つの違った世界が出会って溶け、互いの理解を始める魔法とは何も関係がありません。

彼女の欲求不満を感じるにつれて、とにかく私は母親のようにならないことを決めました。私がいかに男性を信頼できず、本当に傷つきやすい自分であることを、どれだけ恐れていたのかを見始めました。私が男性へと近づく中で、私はそこにいました。--しかし挑戦の点からです。

そしてその挑戦を彼らが受け取った時にだけ、私はくつろぎ、より傷付きやすいスペースへと動くことが出来たのです。私の恐怖を扱う代わりに、無意識な乖離へと向かったのです。女性的な強さや傷つきやすさを統合する代わりに、強くあることを選んでいました。

私はくつろぐとやがて男性に対抗し戦い始め、体の中のあるエネルギーに触れ始めました。私にとって女性的エネルギーというのは体と、体の感覚にあること、体を通して世界を経験することととても関係があります。これは私には思いがなく知的でもないという意味ではありません。しかし私がもし本当に、知覚したことに誠実であることに動くならば、私の場合フィーリングからやってきます。

私は女性として、本質的なエネルギーが受容的で、感覚的で傷つきやすいものであることを自分の為に感じ始めました。--弱々しいわけではなく、それらの感覚の中に強く根付いたものであることを。

私は何年ものグループリーダーやセラピストとしてのワークの中で、女性も男性もいかに自分たちの本質的なエネルギーとの接触を失っているのかを見てきました。私は、タントリックエナジー、ディコンディショニング、男性-女性性コネクションを行います。

そのワークの中で、両性共エネルギー的な切断の根は、ほぼいつもセクシャリティや、感覚や愛への性エネルギーの流れ、にあることを認識し始めました。そして十分過ぎるほど、女性よりも男性がより切断されているのを見ました。彼らは、よりセックスにこだわりますが、フィーリングには十分繋がっていません。

その理由は明白です。子供へのあらゆるパワーを持った女性を通して人は生まれます。ですからそこにはすでにパワーゲームが始まっています。私たちの社会の多くの母親たちは、パートナーとの関係性の中に深い欲求不満があります。ですから彼女らはあらゆるエネルギーを子供に注ぎます。そして特に男の子とのきずなはとても強くなります。彼女らの感情の必要性を満足させるために男の子を使うことによって、多くの母親はその子供の生きるエネルギーを去勢するプロセスを始めてしまいます。

小さな男の子にとっては母親が世界です。父親がそこにいないことで、男性エネルギーとのポジティブな自己同一を持たない少年がしばしばいます。彼は、自分の必要性の中に彼を吸い込むような女性に、強く捉まって過ごします。そして彼はそのきずなを健康的に断ち切る、どんなサポートも得ません。私たちの文化には、母親と子供--特に母親と息子の間--を切り離すどんな儀式もないのです。

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私の経験ではヒーリングは、私たちが女性として、どのように男性を去勢し、どう彼らを弱め、私たちの必要性に仕えるように、どのように操作することを母親から根本的に学んでいるのかを見る時にだけ始めることができます。

私たちは、それが実は望みでなかったことを認識する必要があるのです。私たちは私達の母親とのきずなの外に出て言う必要があります。ええ。私は女だけどあなたと同じゲームをする必要はないの。私は拡がりたいし男性を男のままにするの。しかしこれには過去から離れる必要があります。それには戦いを止める必要があります。それには無意識の依存的な映画を進む必要があります。それにはあなた自身に自分の根を見つける必要があります。

その下に、たいていの女性は女性であることに、とても自信がないことがあります。私たちは私達の体に自信がありません。自分自身のエネルギーに、自分のフィーリングに自信がありません。私達自信の価値に自信がありません。私の見方ではただ瞑想を通してヒーリングがやってきます。瞑想とは、内側に動くことです。あなたのセンターに動くことです。それなしでは、どんな健康的な関係がどのレベルでも起こるとは思えません。

あなたが本当にあなた自身に戻らない限り、エネルギーは流れることが出来ません。あらゆる条件付けを超えた、あなたが誰かといても一人であっても良いという、健康的な一人あるスペースに戻らない限り。関係性にあってさえ、私たちはひとりであること、相手をひとりにしてあげることを学ぶ必要があります。--これは女性にとっては、より難しいことです。私自身の旅の中で、これを見てきました。私は今は、私自身や相手の必要について、自分自身により正当な場所にいます。

どこからそれらが溶け込むことができ、どこから出来ないのかを見ることができます。それらが溶け込まない場所にスペースを許すだけの勇気があります。他人を失う恐怖は以前としてありますが、もはやそれ程破壊的ではありません。自分にもっとスペースを与えることが、相手にもとても大きなスペースを開くことにも気がついています。

そして私自身に開いていく中で、もっともっと気がつきました。ああ!これが私に必要なのだ。そしてこれを私はシェアしたい。愛するために、これ以上コントロールする必要はないのだ。ということです。しかしそれは時にとてもびっくりするということをあなたに言う必要があるでしょう。

私は自分の支配する傾向を見ています、するとしばしば自分でそのエネルギーを後ろに引いてその状況をあるがままに放っていることがあります。このように関係がもっと驚くもの、より興奮する、もっと滋養があって豊かなものになります。

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和尚がこういうのを聞いたことがあります。
「愛の中に明け渡すときに、私たちには、相手に明け渡しているというアイデアがある。しかし実際は、私たち自身のエネルギーに明け渡け渡すのだ。」

これは私にとって、理解してそれを本当に経験するまで時間がかかりました。私にとって、愛の中での戦いは、相手へ明け渡すことへの恐怖からやってきています。私がより正直に誠実になるにつれて、愛そのものを信頼しそれに明け渡していることを私はもっと経験しました。私の、相手へ明け渡す恐怖は、実際は私自身へ明け渡す恐怖だったのです。

関係性はとても大切です。でもそれは私にとっての一番のことではもうありません。一番のことは、私自身の探求、私自身の内側の旅です。私の中で、瞑想の中で、ワークの中で、相手との関係の中で何が起こっているのかを探求することです。私の人生はただの関係性以上のもので、それは和尚と瞑想なしではこの場所にいることができなかったでしょう。

私にとって和尚と共の旅は、途方も無いヒーリングとなってきました。セラピー的なただのヒーリングという意味では全くありません。セラピーは必要とされ、それは依然マインドの次元で機能しており、あなたを限定するのもマインドです。エネルギーには限りはなく、瞑想はその中に開きます。

私は和尚に、持てる限り深く入らせることで-そして今でも彼に入らせています--ここにいます。このヒーリングは存在のレベルにあります。彼とともに座り、その内側の臨在、その静けさ、その受容性の広大さ、その理解の広大さ、生をそのものして探求することの広大さの中にダイヴすることで。

(Nirdosh halis 訳)          


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インタビュー & 記事

こちらではまてぃがこれまでにオーガナイズを主に勤めてきた、各セラピスト達の過去のインタビューや記事を掲載しています。


ardデバパス著「パワー・オブ・ブレス」について

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ardサガプリヤ インタビュー
雑誌「fili」(2002)より

ardサガプリヤから、OSHOへ質問
OSHO:The Great Pilgrimage:From Here to Here(1987)より

ard内なる男性、内なる女性の体験
OSHO NEWS Online Magazine(23 February 2014)

ardサバイバルの恐怖
OSHO NEWS Online Magazine(15 April 2014)


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ardドゥワリ インタビュー


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デバパス著「パワー・オブ・ブレス」について

The Power of Breath (英語)
Devapath(デバパス)著


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ヨガやタントラ、タオや禅のような主だったスピリチュアルな伝統では、意識的な呼吸が幸福とスピリチュアルな成就への鍵―人生を楽しむ鍵だとされています。悲しいことに、西洋のストレスに支配された世界では、私たちは自分の呼吸と自分自身を見失っています。―健康で、愛と喜びに満ちた存在であるポテンシャルを見失っているのです。本書はデバパスの30年以上にわたる医師そしてスピリチュアル・セラピストとしての成果です。

デバパスにはブリージングの途方もなく豊かな世界を体験してもらうための、私たちの目を開かせる独創的なやり方があります。彼は呼吸が人生のあらゆる領域にいかに影響を与え、そしてそれが愛と人生の出来事の質をいかに向上させるのかを見せてくれます。

10章をかけて、彼は私たちをわくわくする旅へと導いてくれます。そこでいかに深い呼吸が、ストレスを解放して若さを保ち、自分の身体と友達となる助けになるのかを学びます。呼吸がいかに性生活を改善し、関係性を癒すのか、そしてそれがいかにマインドをくつろがせ、感情のバランスを取って、ハートを開いて内なる美を発見する助けになるのかに、私たちは気づくようになります。


※以下は著書からの一部を日本語に訳したものです。


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第一章 気づきをもって呼吸する

何通りもの瞑想法を教える必要はない。
最も単純で簡単な、何にでも当てはめられる方法を
ひとつだけ選ぶことができる。
それだけが世界中に広まることができる。
それは私が呼吸を見つめると呼ぶものだ。
それはとても単純な方法だ。

OSHO

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ard呼吸が生命を与える

生命が呼吸を与え、呼吸が生命を与えます!生命を維持するのにもっとも大切な機能が、もっとも忘れ去られています。西洋医学が教えるように、呼吸は酸素だけを運んでいるのではなく、東洋の癒しの伝統が教えるように生命――プラーナ――をも運んでいます。

医者が往診をするときには、まず「呼吸はどんな具合ですか?」と質問すべきです。同様に、心理学者も最初に「何が深く呼吸するのを妨げているのですか?」と質問するとよいでしょう。すべての心理的な問題は間違った呼吸パターンに関係しています。家族療法士も「家族で誰が一番呼吸を抑えていますか?」というように、同じ方向で質問することができます。

これは私にある小話を思い出させます。ある日、学校の先生が生徒たちに、どんな薬を知っていて、それが何に効くのかを尋ねました。子供たちはアスピリンや魚油などについて話し、それらはみんな健康によいというふうに答えました。最後になって、一番小さな子が飛び上がって叫びました。「ねぇ、ねぇ!一番大事なやつを忘れてるよ!それは酸素。酸素だよ!みんながおばあちゃんに酸素マスクをつけたんだよ!」「それで、それは何にいいの?」と先生は聞きました。「それはね。みんながおばあちゃんを部屋から運び出そうとしたら」その子は答えました。「おばあちゃんは息を切らせて「Don’t take it aw..a..y!(俗語では、連れて行かないで!文字通りなら取り外さないで!という意味)」ってささやいたんだ」

呼吸以上にいい薬はありません。もしそれが取り上げられたら、人生はただちに終わってしまいます。この男の子は人生の最初のレッスンを学んだのです。つまり呼吸こそが鍵なのだと!


ard身体へと戻ってくる――私たちの寺院

私たちの注意を、外側の世界から身体という寺院へと移すことから呼吸への気づきは始まります。

身体は私たちの真実です。まるで無邪気な子供ように身体は私たちの在り方を表します。肉体において私たちは呼吸の経路、作用する場所、活性化する効果を認識できます。ただ呼吸のエネルギーの流れを感じるだけで、すばらしいフィーリングと身体の現実に目を開かせてくれます。

友人が愛情のこもった注意を向けてくれたときのことを思い出してください。愛に満ちた視線、やさしく触れられたり励ましの言葉を受け取ったりすると、私たちは相手のためなら何でもしようと思います。それと同じように、私たちが愛と励ましに満ちて接すると、身体は何でもしようとしてくれます。

身体は呼吸にとってぜいたくな器であり、すばらしい乗り物です。気づきをもって身体を見るなら、自分自身がどこにいるのかがわかります。マインドはすぐにうそをついて、間違った自己イメージを与えます。それは自分が安心して社会に受け入れられるように私たちが信じたがるイメージです。

けれど身体はより深い真実を明らかにします。うそをつくことができないのです。悲しいことに、私たちは病気への注意や愛に満ちたいたわりを願う身体の言葉を読み取ることや、その警告に耳を傾けることを忘れてしまっています。こうした兆候を察知することで、早期の段階で健康のバランスを正し、多くの病を未然に防ぐことができます。

身体には生命に息吹を吹き込み、バランスを整える幅広い方法があります。それらを探っていくことは胸躍らせる終わりのない冒険です。それが生きるアート(技術)に情熱と多くの洞察をもたらし、生から死に至るまでの道行きを楽しいものにしてくれます。

誕生した後、生存し生き残るために、深く息を吸う早い呼吸から人生は始まります。死に向かうにつれ、呼吸はゆっくりと速度を落とし、最後に長く息を吐き出して終わります。それまでの間、セラピー的なものや激しいもの、運動するときや性的あるいは感情的なときの早い呼吸から、自然にくつろいだ、究極的にバランスの取れた瞑想的なゆっくりとした呼吸まで、私たちは多種多様な波長の呼吸を経験します。

それに加え、場所や深さ、呼吸のリズムや強さを変えていくことによって、呼吸を微調整することができます。こうしたすべての側面は、走るといった単純な行為の中で互いに結びつきあっています。最初に呼吸が深まり、次にリズムが変わって、最後に身体の大部分を巻き込んでいきます。私たちが強い感情表現に入っていくときにも、似たようなことが起こります。

信じられないほど多様な呼吸パターンを通して、私たちは人生のあらゆる色彩を経験していきます。呼吸と戯れることで、再び自然のリズムと調和して生きることを学べます。喜びをもって呼吸するだけで、周りの自然にも喜びもって呼吸させているのです。何といっても、私たちが健康であるには新鮮な空気が必要なのです。


ard正しい呼吸により生命エネルギーをよみがえらせる

 自然にくつろいだ呼吸は、その場にある環境を守る感受性と注意深さを与えます。自分が自然の一部であると感じられるので、自然を感じ、理解するのです。もしすべての人類が自然に呼吸していたら、直感的にすべての緑地を「呼吸させて」おくために保護していたことでしょう。それは私たち自身の生命を支えるものが破壊されるのを避けるためです。

どのみち環境を害することには興味がないのですから、美しく、汚れのない世界で生きることを私たちは楽しむでしょう。自分の呼吸を大切にするのと同じように、母なる地球の呼吸も大切にすることでしょう。

呼吸は末永い健康と幸福、内なる変容のための宝箱です。しかし、絶えず急いだ、活動過剰な生活をしていると、呼吸への感受性を失ってしまいます。よりくつろいで充実した人生を送るために、呼吸のパワーを感じ、楽しむことに時間をかけるだけのことはあります。

よい呼吸は、酸素を送り込み、活性化し、身体をきれいにします。頭の中を清めてはっきりさせ、感情のバランスを整えます。これが予防的な健康管理と医療における最も重要な要素なのです。スポーツやダンス、ヨガや太極拳といった健康に役立つ多くの肉体的なエクササイズが、呼吸を刺激して調和させることに基づいていることを思い出してみてください。

頭の先から足の先まで、全身で呼吸は驚くべき働きをしています。一息ごとに、身体に酸素とエネルギーを流し込み、生命の脈動と結び付けておくのです。少し意識するだけでも、深い呼吸と魂への癒し、啓発に満ちた働きへと心身を開く助けになるのです。


ardスピリチュアルな道で呼吸する

呼吸を意識することは、人生におけるすばらしい教えです。最初にそれは私たちの存在のあらゆる次元がいかに密接に結びついているのかを気づかせてくれます。身体、マインド、ハート、スピリットは個別に構成されているのではなく、呼吸の仕方に影響されるとともに、それ自身を表現する有機的で分けることのできないひとつの存在なのです。

私たちの多くが、おそらく心身が呼吸に影響を及ぼしていることはわかっています。けれども、スピリチュアルな存在の状態が及ぼす影響についてはほとんどわかっていません。神秘家OSHOが引用した美しい寓話があります。それは人生をマインドのジャングルから内なる我が家へと帰る旅路と描いています。

ジャングルにおいて人は暗闇の中、完全な無意識の中で暮らしています。そこでは、人生のジャングルを生き延びること以外に別の世界があることを知りもしません。彼の生活は自分を守り、人生を安全にしておくことがすべてなのです。完全に自分のマインドと同一化していて、それが言うことなら何でも信じ、誘発された感情には何でも迷い込んでしまいます。

彼は恐怖に捕らわれていて、自分の行いには完全に無意識です。呼吸に対しても同じです。それは収縮していて広がろうとはしません。心配性なマインドの気分に支配されているので緊張していて無秩序です。ジャングルに住む人は生との調和を感じられません。というのも、自分自身を感じないですむように、そして自然をコントロールするために、呼吸を制御してできる限り浅いままにとどめているからです。

けれど、図らずも生のもっと明るい場所にやってくることがあります。ジャングルから森へとたどり着きます。そこはもう少し開けていてわずかに光が差しています。そこにいるとよく計画された安全な人生に不満を感じるようになります。人生にはそれ以上の何かがあると感じますが、どこに行けばそれが見つかるのかがわからないので、あてどなく右往左往することになります。

古いものを失う恐怖と新しいものを見つける好奇心に引きずられて、森に住む人は混乱した状態にあります。彼の呼吸も同じく混乱しています。昔ながらの防御的な呼吸をしながら、昔ながらの人生に息が詰りだします。けれど、地平の彼方に光が見えて心が落ち着くと、呼吸もまた深い静けさとやすらぎの経験を与えてくれます。そこでより豊かな人生を願うようになります。

ある日、スピリチュアルなマスター(師)の瞑想の庭園を発見します。そこに足を踏み入れる勇気を出した瞬間に、彼は自分が人生において正しい場所へとたどりついたことがわかります。そしてそこに腰を落ち着け、庭師となって、内なる精神性の庭園が育つよう整えます。マインドは深くくつろぎはじめ、呼吸もくつろぎます。

呼吸はより穏やかで充実したものとなり、新しい存在の深みへと広がっていきます。――同じ深みを人生においても感じはじめます。呼吸をしていると再び子供のようになる感覚につながる純真さを感じだします。

ある日、不意に我が家にたどり着いたと感じます。自分本来の内的存在を見出したのです。道に迷い、ばらばらに感じていた数々の人生の後に、存在の家へと帰ってきたのです。マインドは静まり返った湖のようになります。呼吸もまた同じです。彼は存在におけるもっとも貴重なエネルギーに満ちた静かな湖のようになります。

ishimura38 at 00:00 この記事をクリップ!

Profile
mati_2012_02_smallまてぃ(Mati)

1988年にインドに渡り、精神世界の探求に入る。

その後、サガプリヤが創始したサイキックマッサージ及びスターサファイヤのワークに出会い、トレーニングをインドやイタリアで数多く受講して後、アシスタントとしての経験を重ねて、創始者直伝・日本で最初のサイキックマッサージのトレーナーに認定されました。現在、これらのトレーニングやグループのリードをはじめ、幅広く活躍しています。

ボディワークとしては、ホリスティックマッサージやクラニオセイクラルバランシング。意識に働きかけるものとしては、ガイド瞑想やヒプノシスなど、様々なトレーニングでの経験を活かし、クライアントの状況や参加者のエネルギーなどに応じて、的確で自在な個人セッションやグループワークを行っています。
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